ひなまつりと道真公

先月の初旬、ショッピングセンター内を歩いていると



たくさんの雛人形が展示販売されてありました。



大型のガラスケースに入ったお雛様を眺めていると



お道具一式に、珍しく波兎模様があり



予定もないのに、、欲しくなってしまいました。



衝動買い出来る金額でもなく、パンフレットだけもらって帰りました。



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それから、二週間ほど過ぎて・・・



パンフレットを見ていると、、



『お殿さま』の文字を見て違和感を感じました。。



近くにいた息子に、、




「お殿様じゃなくて、お内裏様だよね?」と、尋ねたところ




「内裏は、人の名称には使わないよ」




「あの歌の歌詞とか、意味が間違っているらしいよ」




ずっと、、知らないまま五〇年歌ってきた私には衝撃でした。。。




調べてみますと、



雛飾りは、紫宸殿で行われた天皇陛下、皇后陛下の結婚式を模したものであり





内裏とは、天皇が儀式や執務を行う私的区域の名称なのだそうです。




三番目の歌詞に出てくる、「赤いお顔の右大臣」は




位置的にも、顔色も、左大臣のことであり



位の高い役職であることから本来の位置は、上段であり



弓矢や刀などの装備をするのは、




随身の立場ではないかと考えられているようです。



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私的に、、右大臣といえば




成田山新勝寺の清滝権現堂・京都の醍醐寺の流れから



すぐに、菅原道真公のことを思いました。




そして・・・




もう一つ驚いたことは




『うれしい ひなまつり』を作詞したのは




サトウハチロー氏と知り




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たまたま、佐藤愛子先生の『冥途のお客』を




再読して、佐藤紅禄先生が出てくる所まで読んでいたことや




主人がつけたテレビのクイズ番組でも




花の名所として醍醐寺が出てきたり




どうやら、いろいろなことが、




今年も引き続き繋がっているように感じました。




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昨年は、書くことがあまりにも多くて記事にはしませんでしたが





数か月遅れで、大事なことを書かせていただきます。





昨年、ガネーシャと、菅原道真公の記事を続けて書いている時に




外出先の本屋で、精神世界系のコーナーにある本棚の中から




気になった本を一冊手に取り開いてみたら




菅原道真公の祀られる神社に行った時の




神秘体験が書かれてあり




今、まさに自分も





その周波数領域にいることを実感しました。




『ガネーシャは、出雲の神?!』にも書いた





ショッピングセンター内にある白い壁の中に




右に向いた横向きの白いガネーシャがいて




もぞもぞ動いて、消えてしまった体験を再度思い出し・・・




ガネーシャが、向いていた方角は




西にあたるので、、、




そちらに、なにか意味があるのだろうと思いました。




ガネーシャは、歓喜天なので




そちら方面から探りましたが、、




ピンとくるものがなく・・




あのガネーシャが





どこに行ったのか分かりませんでした。







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ガネーシャ関連のブログ記事を書きながら






湯島天神に参拝し、





太宰府天満宮も主人が参拝したけれども




県内にも、縁の場所はないのかしら・・




嫁いで30年近く、





いろいろな神社を調べて参拝しましたので





期待せずに、調べてみたのですが





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菅原道真公に大いに関係する、ご縁の深い神社が






茨城県常総市に、存在していました!!





それは、大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう)であり、





日本三天神の一つなのだそうです。



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失礼ながら、まったく知りませんでした。





そして・・・御廟天神ということで





特別な意味を感じました。








ホームページから以下引用させて頂きます。









大生郷天満宮の由緒




社伝によりますと、菅原道真公の三男 景行(かげゆき)公は、



父の安否を尋ね 九州大宰府を訪れました時、



道真公自ら 自分の姿を描き与え



「われ死なば 骨を背負うて諸国を遍歴せよ。




自ら重うして 動かざるあらば、地の勝景我意を得たるを知り、




即ち墓を築くべし」と言われ、




延喜三年(九〇三)二月二十五日に亡くなられました。




景行公は、遺言どおり遺骨を奉持し、家臣数人と共に




諸国を巡ること 二十有余年が過ぎ




常陸介(地方長官)として 常陸国(茨城県)にやってきました景行公は




延長四年(九二六)に 現在の真壁町羽鳥(はとり)に 塚を築き、




この地方の豪族源護・平良兼等と共に 遺骨を納め、




一旦お祀りしましたが、三年後 延長七年(九二九)





当時 飯沼湖畔に浮かぶ島(現在地)を




道真公が 永遠にお鎮まりになる奥都城(墓)と定め、




社殿を建て、弟等と共に 羽鳥より遺骨を遷し、




お祀りされたのが 当天満宮です




日本各地に道真公を祀る神社が 一万余社あるといわれる中で、




関東から東北にかけては 最古の天満宮といわれ、





又 遺骨を御神体とし、遺族によってお祀りされたのは




当天満宮だけであることなどから




日本三天神の一社に数えられ、御廟天神ともいわれています。





以上引用終わりです。







菅原道真公の御廟である、




大生郷天満宮の存在を知り、衝撃を受けた私は、、




もしかして・・と




すぐに地図で確認したところ




ガネーシャが現れた、あの場所から




ほぼ真西にありました。




右向き、西を向いて消え去ったガネーシャである歓喜天さまは




大生郷天満宮から来て、帰って行ったのだと感じて





それは




歓喜天を信仰した、菅原道真公のお導きだったのだと




ようやく腑に落ちました。




   
ここまでは、昨年の六月に感じたことを書きました。











大生郷天満宮のホームページから再度引用します。









茨城県指定有形文化財 絹本着採 




「御神酒天神画像」は、




不当におとしめられた菅原道真公が




大宰府に左遷される船の中で、座る物も無く



綱を巻いた円座に坐り、



憤怒の為に一夜にして白髪になったという



「怒り天神」(綱敷天神とも)の姿を画像化しています。




この画像に酒を供えると 顔が赤くなるとの伝承から、



この名前が付いたと言われています。



天神画像には、白梅が圧倒的に多い中、




この画像には紅梅が鮮やかに描かれていますが、



道真が梅と共に好んだと伝わる松は描かれていません。



道真と梅だけという単純な要素だけで表現されています。



このことからも、大生郷天満宮の天神画像は、



信仰に基づく「御廟意識」が根強く根底にあることがわかります。




以上引用終わりです。







改めて、大生郷天満宮のホームページの記載を




引用するために拝見しまして




また、驚いたことがあります!




皆様、お気づきかと思いますが、、





うれしいひなまつりの三番の歌詞




「すこし白酒 めされたか あかいお顔の 右大臣」




雛飾りの右大臣の顔は、白く




向かって右の左大臣の顔が赤いので





サトウハチロー氏が、その間違いを指摘され




晩年まで間違いを気にされていたそうですが、、




もしかしたら・・・




サトウハチロー氏は、




大生郷天満宮の「御神酒天神画像」の




右大臣  菅原道真公と繋がったのかもと




この記事を書きながら気づきました。




成田山新勝寺の天神さまも、




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この「御神酒天神画像」と同じく紅梅だったのも繋がりますね。


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長い文章を、お読み下さりありがとうございました。