聖天さまは、縄文の神、そして・・・


五月二十七日から続けて、ガネーシャの記事を書いてきました。



湯島天神の坂下にある、心城院の聖天さま(歓喜天・ガネーシャ)が



一連の流れ・気づきによって、、



やはり、饒速日と瀬織津姫だと実感すると今度は



近くにある不忍池の弁天さまのことも



かなり気になるようになりました。






徳川家康の側近であった天海さんは、



江戸城の鬼門の方角に、寛永寺を建立し



下館藩主の水谷勝隆公とともに、不忍池の弁天堂を建てましたが



今までの流れによって、



弁天様は、瀬織津姫で、天台宗の寛永寺は、山王猿田彦で、饒速日だから



この場所も、湯島の聖天さまと同じ,二神が隠されてるのでは?



心城院と、同じパターンのような気がして



自分なりに考えてみました。



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天海大僧正は、江戸時代初頭、当時は「随風」と名乗っていました。



天台宗の学問所の一つとして栄えた、江戸崎不動院にて



17年間、住職を務めましたが、その時に



大干ばつで苦しむ常陸国のために、ある奇跡を起こしました。





「大杉神社略縁起」によりますと




「東條の海に舟を浮かべて、浦の東に鎮座する




大杉大明神を勧請し、みごとに雨を降らせる修法を行い



奇跡を示されました。」






大杉神社のホームページによりますと(一部抜粋します)





『この後、天海さんは、大杉神社の別当寺・安穏寺の住職となり



大杉大明神に仕えました。



そして、徳川家康の宗教顧問として参謀役を務め




東叡山寛永寺を興し、大杉神社は江戸城の鬼門守護社となりました。』




このように記載されています。






大杉神社の主祭神は、倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)であり




配祀神は、大己貴命  少彦名命が、祀られております。






767年、大和国を出発した 勝道上人が日光への道中に



境内地にあった巨大な杉を、神籬として



三輪明神(大杉神社)を、鎮斎して



人々を数々の奇跡で救済し、信仰されるようになったのが



起源とされています。




天海さんは、随風と名乗っていた時代に




雨ごいの修法を行ったときに、雨を降らせて下さった龍神さまが




倭大物主櫛甕玉命こそ、饒速日であり



比叡山延暦寺、山王神道の源流は、山王猿田彦も饒速日なので



天海さんは、とても神縁のある方だと感じました。






水谷勝隆公は、たいへん有能な方で



交通路や水路の整備に、新田開発や検地政策



鉄産業の奨励と振興、神社仏閣の造営などを行っていました。





幼少の頃は、白蛇弁財天のある、真岡市久下田の城で過ごし



下館藩主であった時に、天海さんに任されて



不忍池に、中之島を築き、弁天堂を建立し



竹生島の弁財天を勧請しました。



そして、それと同時に、台東区竜泉の水谷家の下屋敷にあった



8000平方メートルの大池にも、竹生島の弁財天を祀り、朝日弁天とし




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西にある不忍池を、夕日弁天とし、姉妹弁財天とされました。






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5年前の8月に妹が、彩雲とともに現れた




龍神様を撮影した流れから



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水谷勝隆公と、私たちは不思議なご縁があります。




霊夢で、妹たちと一緒に朝日弁天を訪れたり



水谷勝隆公が武者姿で現れたり



ご縁のある場所に導かれたり




昨年の2月には、利根町の蛟もう神社にも導いて下さいました。



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領内には、水谷家累世の氏神である羽黒神社(祭神 大己貴命 玉依姫)が



たくさん建立されており、備中松山藩主時代には



岡山にも、羽黒神社を建立し、境内社の水谷神社に



ご祭神として祀られていられます。






饒速日とつながった天海さんと、




瀬織津姫と饒速日と、ご縁の深い勝隆公





お二人が、造営した不忍池の弁天堂のご本尊は




心城院のご尊像を作られた、あの慈覚大師の作であり




心城院の聖天さまと、同じ仕組みであると



天海さんと、勝隆公のご神縁の深さからも・・大いに感じました。




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寛永寺のホームページをみますと(一部、抜粋します)






『天海さんは、「見立て」という思想によって、上野の山を設計する中で



比叡山延暦寺に見立て、東叡山寛永寺を建立し



天然の池であった不忍池を、琵琶湖に見立て



元々あった聖天が祀られた小さな島を、竹生島に見立て



水谷勝隆公と相談し、島を大きく造成することで、



竹生島の宝厳寺に見立てたお堂を建立したのです。』





今まで、、全く知らなかった・・昔から不忍池に存在していた



聖天さまを祀る『聖天島』の存在を知って、びっくりしました!!





やっぱり・・あった!



聖天さま、歓喜天さま、ガネーシャさま、



饒速日と瀬織津姫を祀る場所が!!



やっぱり、二つの場所は、繋がっていると



久しぶりに、ぞくぞく・わくわくしました。





しかし、、何度も訪れている場所なのに・・見た覚えがない。。




そのような島は、あったかな??




毎日のように参拝していた妹も、知らない、見たことがないと言うし・・




地図を見ても、小さすぎて・・わからなかったのですが






検索してみると、ありがたいことに




訪問された方々の、たくさんの画像や情報がありまして、感動しました!





もっと、知りたくなって調べてみますと






『神道大系武蔵国』には




ガネーシャ神と、遭遇してから




聖天・歓喜天・出雲族のサルタ彦・山王猿田彦・道祖神・猿田彦大神・天照・饒速日・瀬織津姫と




導かれた  答え がありました。!





以下引用します






篠輪(不忍)津池ニ瀬織津比め崇、山王ノ霊社ヲ移シテ 護国ヲ祈玉フ。


如欺魔障ノ禍ヲ 攘肥穣豊富ノ里ニシテ 後来日本第一ノ 官府ト成コソ處コトハリナレ




引用終わり





不忍池に瀬織津姫を崇め  山王霊社を移して 護国を祈りたまう


かくのごとく、魔・禍い・障いをはらい  肥沃、豊かな里にして


日本第一の 官府となる所となりましょう





いったい、いつの頃から・・不忍池に浮かぶ天然の小さな島に



聖天さまが、瀬織津姫と饒速日と知っていて、お祀りしたのでしょう・・・






明治時代に埋め立てられて、昔の三分の二の面積になった不忍池




池の底の数か所から、水が湧いているそうで・・・




湯島の心城院の柳の井も地下水であることから




2つの水源は、同じと考えるのが自然だと思いました。







縄文時代の初期まで、不忍池周辺一帯は、東京湾の入り江であり



海岸線が後退していく中で、取り残された土地に水が湧いて池になり



その池の中に出来た小さな島に、いつしか自然な形で



縄文の神、瀬織津姫と饒速日が祀られいく過程を想像したとき




そこに、目に見えない存在の働きを感じてしまいます。





明治時代の初期までは、池の形は現在とは・・かなり違っていたようで




北側は、今よりもかなり広く



藍染川(谷田川)という川も注いでいたそうで



名前が気になり、調べてみると、、





福岡県の太宰府天満宮の近くに、同じ名前の藍染川があり



そこは、謡曲「藍染川」の舞台となった場所なのだそうです。



『天満宮の神官である中務頼澄を慕って 筑紫に下ってきた




京女梅壺は、頼澄に会えない悲しみに藍染川に身投げをし



それを知った頼澄が、天神さまに祈ったところ



梅壺は、生き返ったという話である』と、知りまして




湯島天神のご祭神、菅原道真公の神号 天満大自在天神とも




ここにきて、再びリンク・シンクロしました。







6月の記事に書きました、赤坂日枝神社は、江戸城の鎮守




そして、江戸城の鬼門を守る寛永寺と不忍池弁天堂、




同じく、鬼門守護社であった大杉神社




水谷家の氏神である羽黒神社




今回の鍵となった、湯島の心城院には



様々に、名を変え、姿を変えながら



江戸、東京を守っている饒速日と瀬織津姫の存在があり、信仰があり




それは、縄文の頃から自然な流れで引き継がれた祈りの形でもあると感じました。





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今年の一月、ショッピングセンターの壁の中にいた白いガネーシャに導かれ





不忍池に浮かぶ小さな島にいる、聖天さまに辿り着きました。




今回の不思議な出来事を通じて、過去を振り返り



改めて、饒速日と瀬織津姫のニ神に導かれていることを感じました。





私は、霊夢にて・・霊的な場所に存在する




東日本大震災の被災地である津波に飲み込まれた土地で




竹生島の弁財天のお姿の瀬織津姫が、道に迷う人々を導くように




辻道に立たれてお姿を見ました。




現状が理解できず、動けない人、佇む人、彷徨う人に




お声をかけ、進むべき方向を案内いたしましたが



今思いますと、聖天さま、道祖神、猿田彦としての神の側面を




教えて頂いたと思います。







7年前の12月の末に、妹に貸していた本を



4年ぶりに、読み返していました。



数回読んでいた本でしたが、、



ある文章を読んで、その内容が予言的な意味合いだったことに



気づいて、衝撃を受けました。



何度も、何度も、繰り返し読んで・・



これは、東日本大震災のことに言及していることに気づくと



その本の中から、ある存在が、、私の目の前に現れました。




その体験は、畏れ多く・・しばらく誰にも話せず




その意味を理解できず、どうしたものかと、、




ずっと胸にありました。。





数年後・・





2008年に、購入しました




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「神々の声」を読み直している時に




平成十九年 四月八日に行われた




大年饒速日大神 神祭にて



神々の声を受け取られる、霊台の洞水氏が受けた饒速日のお言葉を読み



以下引用します。







『目覚まし力は、この国の為にあり、




津波高くこの国覆うても、守り抜きし覚悟あり。




今、血も熱く 五体力みなぎりておる。




数多の神々に 感謝申し上げ、




新しき力持ち 走るでの。』





引用終わり







この言葉を目にしたとき、7年前の光景が、お姿が甦りました。




時を経て、その意味が完全にわかりました。






饒速日命が、神々の先頭に立ち、




あの時から、国難といえる状況を救い、




今もなお、この国を牽引してくださっていること




瀬織津姫命が、共に働いてくださっていること




そのニ柱の神のエネルギーは、




この国、この星だけに留まるものではなく





森羅万象、すべての事象に溶け込んでいるように感じます。




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6月29日に受け取った言葉を思いだします。






目に見えぬ、何かが動き出している今




その先で、導き、働く神々には・・




新しい時代、新しい世界は、見えているのでしょうか・・・




それは、どのような世界なのでしょうか




見えない世界の領域が、認知されていくのでしょうか




あの、真っ白いガネーシャが、年の初めに現れて




別次元に導くように、誘うように消えたのは




私たちの意識を変容するように、伝えにきたのでしょうか




そのようなことを、考えるようになりました。




ガネーシャと遭遇し、購入した・・




ガネーシュヒマール産の水晶を彫って作られたガネーシャの背中には




八芒星が、刻まれてありました。



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初めは、、その意味に気づかなかったのですが




+は、饒速日で・・×は、瀬織津姫であり




ニ神のエネルギーを統合した形であり、




だから、聖天さまであるガネーシャさんに




しっかりと、刻まれているのだと、、気がつきました。




この時代を引っ張っているよ!いくよ!




様々な物語を通して、教えてくださった




二柱の神を信じて、感謝して、森羅万象に祈りをささげます。






長きにわたって、綴りました文章を最後まで、お読み下さりありがとうございました。











































ガネーシャと、瀬織津姫

今年の一月、ショッピングセンターにある白い壁の中で動く



白いガネーシャ神(歓喜天・聖天)に遭遇する不思議な体験をしました。




二月の初め、湯島天神のイベントに参加する叔母に会いに行き



男坂の下にある、心城院にて聖天さま(ガネーシャ)にもお参りしました。



柳の井の手水所で、ガネーシュヒマール産のブレスレットを清めて



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弁天池の鯉や亀を眺めていると



微かに、瑞々しい女神の気と、凛々しい男神の気を感じました。



その日の夜に、上野の国立博物館で開催されていた



出雲と大和  日本書紀成立1300年特別展を見学している時に



饒速日の気を感じ、もしかして・・聖天さまと同じでは・・・



心に残りました。





その後も、ガネーシャのシンクロが続き、



今までの記事にも書いてきましたように・・



偶然の流れで、出雲族のサルタ彦の情報につながり、



地図を見ていた時に、気になった山王と日枝神社を調べ続けた先に



山王神猿田彦の存在につながって、、



猿田彦大神、住吉神、天照へと、つながりました。



その背景には、道祖神、庚申様、三輪山の神がいつも居て



饒速日の足跡にも、つながって



湯島の聖天さまと、出雲と大和の特別展で感じた男神の気は



やはり、饒速日のエネルギーだったのだと確信し、



前回の記事にて、お伝えしました。





天台宗 東京教区のサイト内にある、湯島聖天・心城院のページの



「道真公が大宰府に左遷されたとき、その冤罪をそそぐため 聖天さまに祈念され信仰が篤かった」と



書かれてある文章を読んでいる時に、、



私の目に、飛び込んできた文字がありました。




冤罪の『冤』には、うさぎがいる!



瀬織津姫が、隠れている!



何度も目にしてきた文字なのに・・



なんで今まで気づかなかったのだろう。。



瀬織津姫を祀る社には、兎がお印として使われているように



瀬織津姫を表す、象徴的なモチーフでありますが



この文字が気になって、調べてみました。




冤の字は、【うさぎが、おおいの中で 身を縮めているさまを示すことから、かがむ・ぬれぎぬの意を表す】とあり



ここにも、何かしらの・・・意図・因縁・封印を感じました。





心城院のホームページを、再度見直すと



「尊像は、比叡山から勧請した 慈覚大師円仁作と伝えられております」とあり



この円仁という人物にも、何か意味がありそう・・と、調べてみますと



感じた以上に、瀬織津姫と因縁のある重要な人物だったのです!







比叡山延暦寺の開祖である最澄の弟子であり



第三代天台座主である、慈覚大師円仁は




清和天皇より、北関東から奥州の鎮護のため、寺を建立するように命じられ




東北に、多くの寺を開基しました。






「エミシの国の女神」の著者である、菊池展明氏の関係サイト等の情報によりますと




『松島の瑞巌寺(延福寺)から、東北各地へと大勢の門徒が




台宗の布教をしながら、土地神を権現化し、仏に置き換え



地神祭祀を封じることが目的だったとされており、または



天台宗の布教、拡大の目的の結果で



そのようになったとも考えられ、



東北地方の瀬織津姫の祭祀や信仰に、大きな影響や変化を残した人物である』と




考えられていることが、わかりました。








2018年の六月に、松島の瑞巌寺・五大堂を家族で訪れましたが




そのような事情、歴史があったとは、全く知りませんでした。




松島を訪れるきっかけになったのは・・




2017年の四月頃に見た霊夢で見た




宮城県東松島市にあります、百合神社に参拝することが旅の目的で

(2019年の6月24日の記事をご覧ください)




今年になって、百合神社の霊夢で現れた三人の女神の夢を再度見せられた時に




遠野物語の三人の女神であったことに気づくのですが

(2020年5月4日の記事をご覧ください)




2年前の霊夢に現れた百合神社に、実際に参拝することが出来て安心した私は




翌日は、家族が楽しめるように観光しよう!と、




ふらっと、松島へと足を延ばしました。

(2019年6月26日の記事をご覧ください)





昨年のブログにも書きましたが、二年前のあの日は



瑞巌寺では、平成の落慶法要が営まれ




全国から集まった230人の僧による大法要があり




外の広場でも、お祭りが行われ、




前日には、ブルーインパルスの飛行や、有名人も参加した大名行列もあり




夜には、花火も打ち上げられたそうで、




華々しい催しの、オンパレードだったようですが




私が一番、驚いたのは、、昨年の記事の題名にもした通り




松島の上空のエネルギーが、とにかく凄かったのです!!




その意味が、二年経ち・・




ガネーシャに遭遇した流れから、いろいろなことを調べる機会を得て




様々なシンクロと、リンクしていることに気づき




埋もれていた情報を知り、理解することができました。







湯島聖天の心城院の尊像を作った慈覚大師・円仁が




松島の瑞巌寺の前身の松島寺を建て、




円仁の手彫りの五大明王を祀る、五大堂を造りましたが・・・






何故、二年前のあの日




松島の五大堂上空には、彩雲や鳳凰や精霊やクラウドシップ




そして、大きな龍神の姿があったのか




ようやくわかりました。





それは、時の流れを越えて




様々な呪縛が解けて、浄化されて




神と仏の領域が統合されて




饒速日と瀬織津姫が、




本来の姿を取り戻して




さらなる次元へと、上昇したことを




知らせてくださったのだと、気づきました。








意味もわからずに、やってくる霊夢、直観、不思議な現象は、




私のやっかいな性格でもある、、




「気になって しょうがない」「調べないと落ち着かない」





という探求心?猜疑心?によって




曖昧だった知識が、隠された情報と出会うことによって




自分なりの真実に、近づけていることを実感しています。





前回の記事に、書けなかった





6月29日の朝に受け取りましたメッセージを書かせていただきます。





饒速日、瀬織津姫が



なぜ、ガネーシャ、歓喜天なのか、、



という思い、問いに



朝、起きがけに



メッセージが来た備忘録




人は、目に見えるもの



姿、形、名前に



囚われがちであるが



象神というのは



現象や象徴の言葉と同じで



目に見えない大きなものの



形、ありさまを現したことの



一つであって




方便にすぎない。








長い、複雑な文章をお読み下さりありがとうございます。




次の記事では、新たにつながったこと、わかったことを




まとめて記事に致します。




ありがとうございます!!












菅原道真公と出雲の神々

前回の記事にて 道真公が大宰府に左遷されてから



天拝山にて、無実を訴えるべく聖天さまに熱心に祈り



篤く信仰していたこと、道真公の神名が天から降りてきたこと



祖父の清公公の霊的な導きやご縁、祖先神のサルタ彦について



書かせていただきましたが



なぜ、菅原道真公が篤く信仰した神が、



ガネーシャである歓喜天なのか?



なぜ、神様になったのか?



このことについて、もっとよく知りたい、探求したい



気持ちに強くなりまして・・



いろいろと調べたり、神さまからのメッセージを頂戴しましたので



長文になりますが、よろしくお願いいたします。





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島根県松江市にある菅原天満宮は、



菅原道真公の出生地といわれており



菅原家の祖先である、出雲王国の富王家の当主



野見宿祢のお墓があります。





菅原道真は、父方の先祖が出雲王家につながり



母も、出雲族の首長の娘であることから



出雲の地は、出生地であり、魂のルーツがある



特別な場所になります。





出雲族の幸ノ神三神の一柱であるサルタ彦神(ガネーシャ)



そして



出雲国の四大神の中で、最も尊い神とされる佐太大神は、



猿田彦神と同じ神とされ



有名な猿田彦を祀る二社も、



出雲王国の分家の登美家から分家した、宇治土公家でありますが



菅原道真公は、そのお立場ならではの知識や



先祖伝来の情報によって



サルタ彦神が、歓喜天であるように



猿田彦神も、歓喜天だと存じ上げていたのだと確信しました。








道真公が左遷された大宰府がある北九州には




たくさんの道祖神(歓喜天・ガネーシャ・サルタ彦・猿田彦)がありますが



以前の記事でも触れましたが・・・



那珂川は、猿田彦神の発祥の地とされ



出現の時の光輝く御姿から「天照」ではないか、、



とも云われがあります。



筑紫の国の神社には、「猿田彦大神」と刻まれた、石柱や扁額が多く




今も存在することから、北九州周辺地域は




古代からの一大信仰圏であったといわれており




このことなどからも、道真公は太宰府にて




残りの生涯をかけて、祖先神である




歓喜天を篤く信仰されたのだと感じました。



そして、その歓喜天であり、サルタ彦であり、猿田彦大神の



中に存在する、隠れている



大元の神の存在も、見抜かれて、感じられていたからこそ



「天満大自在天神」の尊号が、天から下りてきたのだと思います。





隠されていた、大元の神の名を




もう、お気づきの方もいらっしゃると思います。









筑紫といいますと、神話や祝詞に登場します




筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原と云われる




伊弉諾尊が、禊祓いをした場所として知られています。







福岡市にある住吉神社は、




神代から存在している古社で




「イザナギが、禊祓をした土地であり、




最初に生れた神が住吉神であり、出現された場である」といわれています。





そして、、




『古代から那珂川の河口周辺には、





サルタヒコ神が集中して祀られていることから





住吉神は、サルタヒコ神と云われる』





この二つの情報を知りまして、





私が、湯島天神にお参りし、出雲と大和展を





観に行ったあの日から、感じていた神の存在に





確実に近づきました。




そして、




「福岡県の久留米の高良は、ニギハヤヒの居点




住吉神は、ニギハヤヒと言われる。」




この伝承・情報を見つけるようになりまして





さらに調べますと





「サルタヒコは、スサノオの命で北九州主要部の統一事業と





イザナギの行っていた北九州西半分の統治を行う」




このような情報を、いくつか目にするようになり



この伝説、伝承は、




ニギハヤヒが、




父であるスサノオノミコトに命じられ




行った言い伝えと、ほぼ同じであり、




先述したように、、




猿田彦の発祥地に出現した




光輝く御姿からも




サルタヒコは、天照ではないのか?




天照は、ニギハヤヒのお名前でもあることから





私の中でも、一番腑に落ちる情報でした。





その後に、、





「サルタヒコは、大山咋命とも呼ばれ、日吉神としても祀られる」




この情報にも、出合いまして




出雲、九州、比叡山、赤坂、湯島の神が、




ようやく同一になって、登場してくれたようでうれしかったです。







出雲族の神を祀る社の三ツ鳥居は、三輪鳥居と同じで




那珂川の山王社、日吉神社の祭神名は、ニギハヤヒの別名であり




日吉大社の二社の祭神は、三輪山の神であり、同じ神であり、




ニギハヤヒであること。




菅原道真公は、歓喜天に




出雲の祖先神である、ニギハヤヒの命を感じ




自分の境遇に重ね合わせ、そのお力を信じて




全身全霊で、天に向かって祈ったのではないのでしょうか。。







古神道の大家である、村山惣作先生のご本にて





三輪山の神である、





大物主神についての解釈がありまして





以下、現代仮名遣いにて、一部、引用いたします。





大國魂神は  





國つ神々霊の凝結する宇宙界(遊星・地球世界の国々この国魂を握りたまう)の





大神霊にまします。





我が古典に  大物主神天が下の国人




その人心 魂を統率し  し給うがゆえに




この二柱の大神は




国つ神 八百万の神を率い




天つ神に 至誠の至りを蓋させ給う




これ等の大信證は 




現今にまで出雲の大神の宮へと




天が下 八百万の神々




神集りになりて 二柱の神 相率いて





天神に奉答せ させたまう。




引用終わり




この文章の続きには、大物主神は




世界の国、地域の国魂 各人の心魂を




掌握したまうことを表す説明図があり




印度国魂 各人の心魂も、ありました。




大物主である、饒速日命が




インドの神であるガネーシャ神と通じること




繋がることも、よくわかりました。






12年前の10月、思い立って




日帰りで、奈良の長谷寺に行きましたが




最寄りの駅を降りて、歩いて向かっていると



家々の入り口や、店の中には




菅原道真公の掛け軸を、たくさん見かけ




不思議な光景でしたが





あれから12年経って




本尊の十一面観音さまは、




道真公と歓喜天とかかわりの深い神仏であり





この土地が、道真公が初めて神としての




お姿を現された土地だと知りました。






昔、霊夢にて見た、祖母の住む家の軒先には





交差する二本の大根があり





歓喜天さんに、関係しているのかと思っていましたが





今回、改めて、祖母の出た家の姓について調べますと





北野社家などにみられ、菅原氏にもつながる姓だとわかりました。





その関係なのでしょうか・・・





叔母が、三年連続で、湯島天神のイベントに呼ばれているのは・・





なんで、、、ここまで知りたくなるのか、





調べたくなった、その意味が





わかってきました。





15年続けてきたブログも





自分なりに検証する資料になったり




意味が見出せたり、繋がったり




細々と続けてきて、良かったなぁと




感じました。




読んでくださる皆さまのお陰です。





たいへん長くなりましたが、、





湯島の歓喜天さんで、感じていた神さま





饒速日さまについて、書かせていただきました。





次の記事では、もう一柱感じていた神さまについて




書かせて頂きます。





歓喜天さんは、ふたつで、ひとつなのです。





もう少し、お付き合いください。





ありがとうございました。







ガネーシャ神と、菅原道真公


今年の1月、ショッピング中に




壁の中にいた、小さなガネーシャと遭遇し




ガネーシュヒマールのブレスや




クリスタルのガネーシャ神を購入し





その流れの中で、2月8日に




湯島天満宮の下にある心城院の




歓喜天さん(ガネーシャ)にお参りし




その夜は、出雲と大和展に行きました。






数週間後・・





別件を調べ中に、ガネーシャは




出雲族のサルタ彦神!という




驚きの情報に続いて、、




たまたま見ていた東京の地図で




山王と、日枝神社の関係性が気になり




納得いくまで




調べに調べていくと、、




九州地方にある神社に、




山王神猿田彦命を発見しまして




ようやくそこに、たどり着きました!







実は、あの日、2月8日は





一日中、ずっと感じていた




ある神さまのエネルギーがあり




そのお名前は、一度も目にしていないのに




なんでなんだろう?と、




不思議な思いを抱えていました。






ガネーシャは、サルタ彦神




山王神は、猿田彦命




この二つの意味を解き明かすには




どうしたらいいのか、、、




その時、ふと気がつきました。。




湯島の歓喜天さんも、山王神猿田彦命も




天台宗じゃないか!




もう一度、湯島天神別当の



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天台宗喜見院・宝珠弁財天堂と称された




湯島聖天、柳井堂 心城院について




よく調べて、考えることにしました。






元禄七年に、宥海大僧都が




湯島天神の祭神である、菅原道真公が




太宰府へ左遷された時に




その冤罪をそそぐため、




聖天さま(歓喜天)に、祈念され




信仰が、篤かったこと




その因縁浅からざる聖天さまを




堂内に奉安したのが、寺の開基であり




尊像は、比叡山から勧請した




慈覚大師作と、伝えられている。




そのようなことが、わかりました。




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大聖歓喜自在天・大聖歓喜双身天王は、




ヒンズー教で信仰されている




象頭人身のガネーシャ神が




十一面観音さまの法力により




仏教に取り入れられたもので




形象は、主に




象頭人身の単身と、双身とがあり




ご利益は、、夫婦和合、子孫繁栄、家内安全




商売繁盛、金運などであり




出雲族のサルタ彦神の道祖神的な側面と




符号していると感じましたが




道真公が、篤く信仰していた意味は、




別にあるのだと思いました。




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ほとんど知らない菅原家についても




調べてみますと






菅原家は、天照大御神より生まれた




「天穂日命」に起源を持ち




曽祖父、古人公の時代に学問をもって




朝廷に仕える家柄となり




祖父、清公公は、私塾を設け




朝廷の要職に、数々の官人を輩出し




菅原家は、一大学閥となったそうです。




道真公も、優秀な血筋を引き継ぐように




数々の難試験を一回で突破し続けて




文章博士、右大臣まで上りつめましたが




快く思わないものたちの・・




陰謀によって、失脚され




太宰府へ、島流しのごとく左遷されました。




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福岡県筑紫野市にある天拝山は、




太宰府に流刑された道真公が




自らの無実を訴えるべく幾度も登頂し




聖天さま(大聖歓喜自在天)に祈念し




天を拝されました。




道真公が、晩年に天拝山で




無実を訴える祭文を読み上げると




帝釈天をすぎ、梵天まで上がってゆき




「天満大自在天神」と尊号が書かれた




祭文が、下りてきたとのことです。




生きながらにして




神上がりした証のような




体験に、驚きました。




そして、ようやく無知な私も





菅原道真公が、天神さまで




歓喜天を信仰された意味が




わかりました。





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地図で、天拝山の場所を確認していると





地名を見ていて、ピン!と、きました。




あの、最澄さんが唐から帰朝の折に




筑紫の最初の天台派寺院の




背振山東門寺を開基し、東門寺を



比叡山延暦寺に移す時に、



筑紫郡 一ノ瀬の



山王猿田彦命を勧請して




彼の地に、日枝神社を創建した伝説の





由緒書きがある




あの、、那珂川市一ノ瀬の日吉神社と




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天拝山が、近いことがわかりました!




なんだかんだで、、




一周してきたような感じですね。




何か意味を見出したくて




調べてみますと




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最澄さんと同じ遣唐使船には、




道真公の祖父である清公さんも




同じく遣唐使として、いらしたことが




わかって、びっくりしました。




尊い志を持って




時に励まし合い、




苦難や苦労を分かち合いながら




互いに認め合い、高め合う仲間だった




ご先祖さまのご縁のお力と




サルタ彦、猿田彦、歓喜天、聖天さまと




ご縁の深い




筑紫の地に、、




道真公は、引き寄せられたのだと




大いに感じました。。








長くなりまして、すみません。




気づきが多くなりまして





あと、一、二回で





結びに致します。




よろしくお願いします。




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長い文章を最後まで




お読みくださり、ありがとうございます!




山王神から、猿田彦命に繋がる

ショッピングセンター内を歩いている時に



偶然、ガネーシャ神に遭遇した流れで




ガネーシャを探求をすると、、




ガネーシャは、出雲族のサルタ彦であり




猿田彦の可能性があるとの情報を




自然な流れで受け取りました。




約1ヶ月後・・・




東京の地図を、見ている時に




山王という文字と、日枝神社の関係性が




急に、気になって調べてみると




昔は、日吉山王社、日吉山王大権現社と称し




「山王さん」と、親しまれ




さらに調べていくと




日吉、日枝、山王神社の総本社である




滋賀県大津市の日吉大社の御祭神は、




大山咋神と、三輪山の神であり




天台宗の開祖、最澄が




比叡山寺と、一乗止観院を建立し




日吉社(日吉大社)を守護神とし、




山王権現信仰と、天台宗の教えを結び




山王神道と、天台宗が、




共に、全国に広まったことが




わかりましたが




この一連の流れから・・・




私には、山王神って、実は




サルタ彦、猿田彦神ではないのか!




同じ神さま、エネルギー体、意識体では?




この感覚が、ずっとありまして




普通に、調べても




答えは、見つかりませんでした。




でも、どうしても諦めきれず調べていくと




ようやく、見つける事が出来ました!




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福岡県那珂川市 一ノ瀬にある




日吉神社は、以前は




「山王宮 日吉神社」だったそうで




主祭神は、天御中主神  大己貴神




彦火々出見命  でありまして




神社の由緒記から、一部抜粋致します。





「伝教大師  最澄は  805年



唐から帰朝の折、



筑紫の最初の天台派寺院たる



背振山東門寺を開基し、この東門寺を



比叡山延暦寺に移した時に、ここの



山王神猿田彦命を勧請して、彼の地に



日枝神社を創建したという伝説が



残っております。」



山王神は、猿田彦命!



やはり、そうでしたか!!




私の感覚に、気持ち良くフィットしました。





日枝神社、日吉大社もそうですが




那珂川市の日吉神社の御祭神を見ていますと




いろいろな事が起きて



いろいろな事情により



いろいろに、工夫された事が




大いに、感じられます。





次の記事では、




全てが、繋がった!




お話を書かせて頂きます。







ガネーシャ神と遭遇してから




出雲族のサルタ彦 猿田彦




山王権現、天台宗、猿田彦命と、




繋がってきたことを続けて書いてきましたが




ブログ作成中に、香木の香りがしたり




比叡山延暦寺の「不滅の法灯」の動画が




おすすめの一番に出てきたり




菜種油のような香りが、何度もする




不思議な体験をしていることも




書き添えておきます。




お読みくださり、ありがとうございます。



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一歳の時の写真を見ていたら



足もとに、ガネーシャを発見しました。



象に似ている犬かもしれませんが。。